雫石町議会 2011-06-07 06月07日-一般質問-02号
しかし、その後に続く世代の中にいささか怪しげな心情の持ち主が多くなり、バランスを欠いた利己主義と経済的繁栄の代償として、人はかくあるべしという目に見えぬ日本人の心、精神を失い、金本意の価値観が幸福追求への道と邁進し、その豊かさが一定のレベルに到達するにつれて、自分自身で考える力、苦しみに耐え、乗り越える力、人間社会の善悪を見きわめる力、自浄能力を失い、権利と自由と要求の主張を突出させ、義務と責任と奉仕
しかし、その後に続く世代の中にいささか怪しげな心情の持ち主が多くなり、バランスを欠いた利己主義と経済的繁栄の代償として、人はかくあるべしという目に見えぬ日本人の心、精神を失い、金本意の価値観が幸福追求への道と邁進し、その豊かさが一定のレベルに到達するにつれて、自分自身で考える力、苦しみに耐え、乗り越える力、人間社会の善悪を見きわめる力、自浄能力を失い、権利と自由と要求の主張を突出させ、義務と責任と奉仕
この本によれば、ここに道義大国への道がある、あるいは経済的繁栄を享受しながら社会が苦悩している最大の原因は、日本人の道徳力が低下し、モラルを失ったエコノミックアニマルと欧米から蔑視され、日本人が道義大国として世界から信頼される道はどこにあるのか。
そうした経済的繁栄の一方では、産業構造の変化による人口の過密、過疎の問題や、サリドマイドなどの薬害及び公害病、そして難病などによる重度障害者の発生、さらには交通事故の増加、高齢化の進行などなど、多くの問題が表面化して、社会の関心も一層高められた時代でもありました。 このような状況に対して、国の財政を生かした社会保障制度の整備も促進されました。
子供を学校に送り出し、教育は学校に任せ、経済的繁栄をし、豊かさを手に入れたと指摘されたのであります。外国から指摘されるまでもなく、親に教育権があることを忘れ、経済活動に専念し出した昭和30年以降、学校では、教育関係者の熱意の余りか、次第に効率が重視され、画一的で知育偏重の教育と変化し、主体性の欠ける児童生徒の増加となり、学校嫌いやいじめなどの社会問題が急浮上してきたのであります。